済法寺の仏像

◆十一面観音立像

桧  一木造(いちぼくづくり)

像127cm

平安時代後期

頭の上に十一の顔、少し大きいのが

化仏(けぶつ)で、如来面。

台座 江戸時代ごろ修理されている

そうです。

 

◆地蔵菩薩立像

桧  寄木造  彫眼  像80cm

鎌倉時代

手に持つ杖他、台座は江戸時代ごろ

修理されているそうです。

 

◆不動明王立像

桧  寄木造 玉眼(水晶の眼) 像82cm

鎌倉時代

台座・炎は傷みがあり、本来は、下写真

出典=岐阜県の仏像より

 

◆四天王・持国天

桧  寄木造  玉眼(水晶の眼)

鎌倉時代

 

◆四天王・増長天

 

◆四天王・広目天

 

◆四天王・多聞天

 

四天王 4体とも

頭には宝冠(銅の飾り)がかぶせてあり

取れば本来の髪型です。

手に持っているものは、江戸時代頃

修理されているようです。

足の下 「邪気」 にも玉眼(水晶の眼)が

入っています。

岩、台座があり省略されていません。

下までしっかり造り込まれています。

'   如来 様を除く

'   観音・菩薩 様

'   明王 様

'   四天王 様

が 計7体があります。

これだけあれば、参道・山門・三重塔・

本堂・庫裏・鐘楼

などがある 大寺院に匹敵します。

狭い本堂奥に所狭しと並べてありました。

作者は?

慶派 でしょうか。大仏殿様

(だいぶつでんよう)

快慶作にも思えます。

または 快慶工房 の彫りでしょうか。

それとも 運慶?

仏像には ほぞの記載もなく、

仏像内部に墨書が入っているかどうか。

X線による内部調査がされているのか

どうか。

いずれにしましても 力作です。

関係記録文書その他が残っていないそう

ですが、掛け軸が20本程あります。

覚書などが 掛け軸になってはいないで

しょうか。

 

記事は、地元の檀家の方々のためにも

わかる範囲で、記録として残したいと

思いました。

仏像は現在、盗難に遭うといけないので

県の重要文化財で、岐阜県博物館で

保管していただいています。

 

2寺信仰

地区の家々のお墓は、寺周辺につくられ

たりしています。

地元では、菩提寺を大龍寺、西本願寺他

別の寺も信仰しています。

お盆は、2ヶ所のお寺様からお参りに

こられておりました。

信仰が2分されたり、分断されてしまって

います。

りっぱな仏像があるのに 発展せず

住職が亡くなり、現在は無人で

珠泉院 住職に兼務していただいて

おります。

 

済法寺

 

こじんまりした寺です。

伊勢の方から漁師がこられ、「山からの

不思議な光で、魚が逃げ 捕れなくなり、

済法寺からの光であると探し当て

寺を 麓に移すよう 頼みに来られた。」

という。

それで 山の麓に移転したという言い

伝えがあります。

しかし、伊勢まではとても届きません。

参拝の不便さもあったのでしょう。

 

ということは、光を放つ如来様

「阿弥陀如来様」でしょうか。

現在残っている仏像は、すべて立像です

ので、例えば「阿弥陀如来・坐像」があっ

たのでしょうか。

「如来ヶ岳」なのに如来様がない。

まさか?売却されたのでしょうか。

慶派の仏像ではないにしろ

 

落雷焼失、地震・台風被害などの

天変地異でもあったのでしょうか。

 

 

如来ヶ岳

地元

岐阜市粟野西地区には「如来ヶ岳」という

山があり(写真中央山頂)

山頂には 861年「済法寺」という寺が

創建されました。

1~3代目住職は、もと高富藩代官の先祖

だったそうです。

1156~58年にふもとの現在地に移転

1596年~1615年に南化玄興(定慧円明

国師)が再興したそうです。

「如来ヶ岳」 という名がついた、と

いうことは 如来様があったのでしょう。

今の本尊様は十一面観音様です。

観音様なら 「観音岳」 「観音山」

 

仏様の位

 

仏様の位図

仏様の位は、このようになっている

そうです。

観音・菩薩様を本尊とする寺院は

多くみられますが、明王・四天王様

まで揃っている寺院は、

山門・鐘楼・三重塔・本堂・庫裏

・講堂など敷地が広く 大寺院

でしょう。

 

各地の四天王

如来・菩薩様は、各地の寺院で多く

みられます。

四天王に注目して見ていきました。

'  持国天=東方、増長天=南方

'  広目天=西方、多聞天=北方

を守護するそうです。

いろいろな寺院をみますと

仏師により 個性的な特長があります。

 

出典=岐阜県の仏像より