飛騨の匠

''奈良  平城京   大極殿   ''

私ども岐阜市は美濃地方ですが、

718 年  賦役令により平安末期まで500年

間程 多くの岐阜県 飛騨高山地方の

大工職人さんが借りだされていました。

年間100人、多い時は200人程が、平城京

・平安京の造営に従事したそうです。

 

「下国」ともいわれ、税を払う代わりに

大工職人に労働させたそうです。

1年交代で、行き来していたりしたようです。

過酷な労働で、逃亡したり また奈良に住み

ついた人もいたりということでした。

法隆寺・東大寺・薬師寺・唐招提寺など

建立された際にも、相当数の飛騨の大工

職人が動員されました。

 

現代のようにレッカー・トラックなどの重機も

製材機・電動工具もなく 全て人力でした。

建築を進めていくには大工棟梁・副棟梁が

いれば、あとは実際の労働者の方が多く

必要であったようです。

 

現在の高山地方には、その技術を生かした

建設会社・木工家具業など 今も息づいて

おります。

また 都で培った技術を生かした多くの

建物も残っております。

 

ブログの視点

ブログを書いていくにあたり。

 

せっかく書くならば、今までバラバラに勉強

したことを「学習ノート」に書いておこう。

これは「勉強ノート」でもあります。

それぞれの事柄は、先人の方・専門の方

直接工事の方々が、深く詳しいです。

自分などは、まだまだ勉強不足です。

経験豊富な方々に もっと学ぼうと思い

ます。

私は私なりの解釈で、ノートに整理している

ぐらいの思いです。        しかし

どうしても職人目線になってしまいます。

偉い方の指示のもと 実現させた技術者の

苦労に思いをはせます。

近頃、多くの外国人観光客が日本に来られ

ます。

現代建築もすばらしいのでしょうが、

圧倒的に 社寺建築・城郭建築を見られ

ます。

 

別に観光用に建てられたのではないので

すが、日本を知るために 見学されます。

外国の建築のプロと話す場合、日本人とし

て説明できるように再勉強するつもりです。

日本人の私が、日本のことで知らないこと

がある。

最近 外国の人の方がよく知っておられた

りします。

事柄は、どれももっと深く・広義で、1つ1つ

が本になる程の事柄です。

それを簡潔に記述し、「本の目次」程度の

記載です。

 

古民家建築

民家は、茅葺・板葺きという建築が 長きに

渡って続きました。  しかし原始的です。

江戸時代中期以降になってようやく民家でも

瓦が使われるようになり多種多様に発展し

てきたようです。

研究は、次の機会ということにします。

一部に瓦屋根がありますが、当時は 板

でした。

 

古代 高度な建築ということでは、

「社寺建築」か「城郭建築」に類する建築で

しょう。

自己解釈ですが、

〇〇寺・〇〇神社は、それぞれ「極楽、黄泉

の国」 あの世を示しており、祈れば、拝め

ばああいった極楽に行けるんですよ、と実際

に見せた ということでしょう。

ですから、民家とはかけ離れて 広大な敷地

で、きらびやか、豪華な極楽が見れたという

ことでしょう。

それが大きければ大きいほど、驚きがあった

のでしょう。

信仰心が強くなったことでしょう。

千年以上経ても現存する木造建築 おそらく

永久にもつものを目指して造ったのではない

でしょうか。

それがたまたま1300年以上もっているので

しょう。

極楽が簡単に壊れては、信用して

もらえません。

 

城郭建築は、人間の実際の支配力を誇示

した象徴的建物でしょう。

 

どちらも技術の粋を集めた建築でしょう。