三田洞弘法庭園、渇水

'''中日新聞  1月19日''

'''岐阜新聞  2月2日''

昨秋から雨が少なく、庭園の池の水が穴

でもあいたように減り、池が干し上がって

います。

初夏に花が咲くスイレン、池を泳ぐ数十匹

のコイがピンチだそうです。

おくり様がこられて40年程、初めての光景

だそうです。

対策が待たれます。

 

三田洞弘法

三田洞弘法さんとして 知られており816年

(弘仁7年)、嵯峨天皇の勅命により、空海に

より創建されました。

火災焼失後1623年(元和9年)再建、また

土砂災害により1684年(貞享元年)に現在

地に移転されました。

本堂・庫裏・不動堂・太子堂・稲荷堂・茶室・

鐘楼などがあります。

こちらは、弘法の中に聖徳太子堂です。

 

池泉回遊式庭園(岐阜市指定名勝)になって

おり、庭園を見ながら 精進料理が食べら

れます。

 

太子講

江戸時代ごろから

職人の間で聖徳太子信仰が深まり 忌日の

2月22日に各地で 「太子講」が行なわれる

ようになりました。

岐阜市三田洞弘法(法華寺)には、お堂が

あります。

長良川以北の岐阜市・山県市の曲尺を使う

職人=大工、鍛冶屋、屋根葺き、建具屋さん

などが太子講を行なっておりました。

50年程前に途絶え、現在は行なわれて

おりません。

 

 

四天王寺

何度も戦火・災害に見舞われ再建され現在

の姿だそうです。

四天王寺には、弘法大師(空海)も仮住まい

され、修行していたそうです。

その法要、縁日も行なわれます。

似和為貴=わをもって とうとしとなす。

'    何事をやるにも皆 仲良くいさかい

'    を起こさないのがよい。

(聖徳太子  第17条憲法の冒頭文)

四天王寺 管長 常順 書

'     第101代管長  出口常順   書

 

和敬静寂=わけいせいじゃく

'     和らいだ心で接しお互いに敬う。

四天王寺  常順

'      第101代管長  出口常順 書

 

 

地鎮祭・釿初め

''直井光男棟梁 所有     江戸時代頃

 

大地の神、大自然の神・恵みに感謝し、神仏

にお祈りをし建築を進めていたようです。

この掛け軸は、神道・仏教を1枚で表し

地鎮祭・釿初め(ちょうなはじめ)の始まりを

示しています。

 

上中下 3部構成で

◆上段  忌部氏  祖神

'            (いんべしそじん)

◆中段上  神武天皇  遷都

◆中段下 手置帆負命の子孫 小民命

'            (おたみのみこと)

'     彦狭知命の子孫 御道命

'            (おみちのみこと)

◆下段   聖徳太子