法隆寺

皆様の法隆寺です。

 

これらの西院伽藍(がらん)は現存する

「世界最古」の木造建築群です。

607年創建

聖徳太子ゆかりの寺。 火災にあい、再建も

されました。

多門・金剛・辻・中村の4番匠。

維持で有名なところでは、江戸時代の

中井大和守、昭和・平成では西岡常一棟梁。

 

「日本最古」の建築書が、「愚子見記」

(ぐしけんき)     江戸時代前期

中井大和守支配下の幕府棟梁を勤めた

平政隆が記したもの。

 

中国の伽藍に比べ、軒の出が長いです。

日本の湿潤気候にあわえて変化させた

のでしょう。

昭和の修理では、西岡棟梁が創建当時の

かたちに戻したそうです。

浅野 清教授(愛知工業大学教授)も

かかわっておられました。

 

大極殿 千年の釘

2001~2009年に平城京 大極殿 正殿

'        (施工=㈱竹中工務店)

復元工事で使われた 千年の釘。

''大釘  L=760mm     白鷹 幸伯氏

 

 

飛騨の匠

''奈良  平城京   大極殿   ''

私ども岐阜市は美濃地方ですが、

718 年  賦役令により平安末期まで500年

間程 多くの岐阜県 飛騨高山地方の

大工職人さんが借りだされていました。

年間100人、多い時は200人程が、平城京

・平安京の造営に従事したそうです。

 

「下国」ともいわれ、税を払う代わりに

大工職人に労働させたそうです。

1年交代で、行き来していたりしたようです。

過酷な労働で、逃亡したり また奈良に住み

ついた人もいたりということでした。

法隆寺・東大寺・薬師寺・唐招提寺など

建立された際にも、相当数の飛騨の大工

職人が動員されました。

 

現代のようにレッカー・トラックなどの重機も

電動工具もなく全て人力でした。

建築を進めていくには大工棟梁・副棟梁が

いれば、あとは実際の労働者の方が多く

必要であったようです。

 

現在の高山地方には、その技術を生かした

建設会社・木工家具業など 今も息づいて

おります。

また 都で培った技術を生かした多くの

建物も残っております。

 

ブログの視点

ブログを書いていくにあたり。

 

せっかく書くならば、今までバラバラに勉強

したことを「学習ノート」に書いておこう。

これは「勉強ノート」でもあります。

それぞれの事柄は、先人の方・専門の方

直接工事の方々が、深く詳しいです。

自分などは、まだまだ勉強不足です。

経験豊富な方々に もっと学ぼうと思い

ます。

私は私なりの解釈で、ノートに整理している

ぐらいの思いです。        しかし

どうしても職人目線になってしまいます。

偉い方の指示のもと 実現させた技術者の

苦労に思いをはせます。

近頃、多くの外国人観光客が日本に来られ

ます。

現代建築もすばらしいのでしょうが、

圧倒的に 社寺建築・城郭建築を見られ

ます。

 

別に観光用に建てられたのではないので

すが、日本を知るために 見学されます。

外国の建築のプロと話す場合、日本人とし

て説明できるように再勉強するつもりです。

日本人の私が、日本のことで知らないこと

がある。

最近 外国の人の方がよく知っておられた

りします。

事柄は、どれももっと深く・広義で、1つ1つ

が本になる程の事柄です。

それを簡潔に記述し、「本の目次」程度の

記載です。

 

古民家建築

民家は、茅葺・板葺きという建築が 長きに

渡って続きました。  しかし原始的です。

江戸時代中期以降になってようやく民家でも

瓦が使われるようになり多種多様に発展し

てきたようです。

研究は、次の機会ということにします。

一部に瓦屋根がありますが、当時は 板

でした。

 

古代 高度な建築ということでは、

「社寺建築」か「城郭建築」に類する建築で

しょう。

自己解釈ですが、

〇〇寺・〇〇神社は、それぞれ「極楽、黄泉

の国」 あの世を示しており、祈れば、拝め

ばああいった極楽に行けるんですよ、と実際

に見せた ということでしょう。

ですから、民家とはかけ離れて 広大な敷地

で、きらびやか、豪華な極楽が見れたという

ことでしょう。

それが大きければ大きいほど、驚きがあった

のでしょう。

信仰心が強くなったことでしょう。

千年以上経ても現存する木造建築 おそらく

永久にもつものを目指して造ったのではない

でしょうか。

それがたまたま1300年以上もっているので

しょう。

極楽が簡単に壊れては、信用して

もらえません。

 

城郭建築は、人間の実際の支配力を誇示

した象徴的建物でしょう。

 

どちらも技術の粋を集めた建築でしょう。

 

 

双葉台の家 1989年

山県市で住宅設計をさせていただき、

それ以来 年賀状を送るぐらいでご無沙汰

をしておりました。

息子様が、ちょうど4歳の時でした。

あれから30年、ご結婚され 2児のパパに

なられておりました。

今 息子様が5歳。

年月の経つのは早いです。

私が、30歳の時でした。当時の自分にも

会えたようです。

ゆったり22帖のLDK・階段・ホール、景色を

見られる窓など気に入っておられたり、

問題もでてきたり いろいろ伺いました。

団地内でも目立つ・評判の家だったそう

です。

今回、家族が3人も増えましたので、再度

建築計画をいただきました。

ご相談いただき、設計冥利につきることで

うれしい限りです。

 

地方の地鎮祭

地方に伝わる地鎮祭の始まりの掛け軸は、

前述の手書きの色付きをもとにして、

白黒で木版画のものでした。

''''製作年代・詳細不明''

 

''竹中大工道具館にて  神戸市''

 

㈱鵤工舎さん・竹中工務店さん他では、古く

から写真の儀式用道具(漆・蒔絵・金物)が

伝わっており、古式ゆかしく工始祭(たくみ

はじめさい)の日本伝統的作法を継承されて

いるそうです。

 

 

三田洞弘法庭園、渇水

'''中日新聞  1月19日''

'''岐阜新聞  2月2日''

昨秋から雨が少なく、庭園の池の水が穴

でもあいたように減り、池が干し上がって

います。

初夏に花が咲くスイレン、池を泳ぐ数十匹

のコイがピンチだそうです。

おくり様がこられて40年程、初めての光景

だそうです。

対策が待たれます。

 

三田洞弘法

三田洞弘法さんとして 知られており816年

(弘仁7年)、嵯峨天皇の勅命により、空海に

より創建されました。

火災焼失後1623年(元和9年)再建、また

土砂災害により1684年(貞享元年)に現在

地に移転されました。

本堂・庫裏・不動堂・太子堂・稲荷堂・茶室・

鐘楼などがあります。

こちらは、弘法の中に聖徳太子堂です。

 

池泉回遊式庭園(岐阜市指定名勝)になって

おり、庭園を見ながら 精進料理が食べら

れます。