正眼寺

 

 

 

 

岐阜県美濃加茂市井深町にあります、

臨済宗 妙心寺の奥の院といわれる

正眼寺(しょうげんじ)です。

 

川上哲治・王貞治・星野仙一氏が

野球から、さらに道を極める「野球道」

を目指し、座禅修業をしたといわれる

寺院です。

 

無事是貴人 正眼 耕月(こうげつ)

 

妙心寺673世老師・正眼寺住職

′        谷 耕月 書

 

立教大学 野球部卒の施主様のため

野球つながりでの掛け軸です。

 

 

大桑城・大桑商人

 

大桑城 古城山(=中央 極く小さく模擬天守)

岐阜県山県市大桑

美濃国守護を200余年務めた土岐氏の

大桑城(古城山)と菩提寺 南泉寺です。

 

下剋上を果たした斎藤道三は、商売上手

といわれた大桑(おおが)商人を稲葉山城

(岐阜城) 城下町  井ノ口に移転させました。

それが 信長に受け継がれ、楽市・楽座へ

発展していきました。

′           出典=山県市冊子

 

現在も町名で残っております。

 

 

斎藤 道三の陣

 

大河ドラマ「麒麟がくる」で登場した

斎藤  道三と 義龍との「長良川の戦い」

道三の陣だった 鶴山です。

′             西方から

小高い岩山です。

稲葉山(金華山)との距離、山と川

絶妙な条件の所に陣を構えていた

と思います。

′             南方から

堀の役目の鳥羽川

′             東方から

左手に小さく稲葉山(金華山)

稲葉山城(岐阜城)

肉眼ではもっと大きく見えます。

 

鶴山(岐阜市上土居・岩崎)

事務所より  2㎞の所です。

 

 

モネの池

 

岐阜県関市板取にあります。

クロード・モネの「睡蓮」の絵に似ている

ことから、通称「モネの池」と呼ばれる

ようになりました。

 

 

 

 

コウホネ・スイレンを植え、池の底を漆喰

で塗り、世話を持て余した鯉を入れたそう

です。

当初は、水がもっと澄んでいて 本当に

きれいで、鯉が空中浮遊しているようで

した。

 

遠方からの車のナンバーを見ました。

広島・大阪・秋田 ・・・

国道が約10㎞間、大渋滞だったそうです。

 

欧州からフラリと来られ、中部国際空港

セントレアから、行き方の問い合わせ電話が

あったとか。

外国にすれば 短い距離でしょうけれど、

とても説明できず、「どんな方法でも

いいから 岐阜 関 板取 まで来てくだ

さい。 詳細は近所にきてから、」と

説明されたそうです。

 

4年前のお話です、現在は外出自粛中です。

 

 

巨大株杉

 

 

 

 

岐阜県関市板取には、「巨大株杉」の

群生地があります。(21世紀の森公園)

 

杉の古木が、幹の上の方で伐採されている

ため株が生きており、そこに種が根づき、

古木を利用し、新芽が育ったという杉です。

 

新芽が利用している部分は、生き続け

中央部などは朽ちています。

自然が作った盆栽です。

 

古木が、写真より低い木もあります。

古木樹齢  推定  約400~500年

100本あるそうです。

 

追記

映画で使えそうな場所です。

 

 

 

 

 

現存していないのは、

 

台鉋(だいがんな)が、中世(室町時代)に

登場し、使われることが少なくなったため

槍鉋の刃先を 鍛造し直したのではない

でしょうか。

′       現在の突き蚤

 

当時、貴重だった 鉄材。

突き蚤 (のみ)に転用したのではない

でしょうか。

だから 現存する古代槍鉋がない。

 

長い蚤であったため、玄翁(げんのう)

使わず腕で押して使ったのではないで

しょうか。

 

補足説明

長い「軸」の部分は、丸ではなく四角で

しょう、という鍛冶職人さんらの意見です。

古代では丸鋼・丸くぎではなく

鍛冶加工しやすい 四角であったように。

鉄材を 丸く引き延ばす機械がない、

丸く ヤスリ加工する必要性がないなど

の理由です。

 

冠(かつら、上部の玄翁で叩く所)は

通常 叩くための木の保護材ですが、

これは、叩かず

木の柄が2枚分割のものを合わせた

ため 「割れ止め」でしょう。

 

近世槍鉋も 現存していないのは、

樽を削る道具でさえ、湾曲した

「反り台鉋」で加工した方がやりやすい

ため、当時でも特殊で、ごく少ない道具

だったのではないでしょうか。

ですから、残っていない。

 

古代槍鉋とは、復元品のことで、

絵巻は正しい、のではないでしょうか。

現在の解釈が間違っている、のではない

でしょうか。

 

 

古代槍鉋を 忠実復元!

 

 

 

真説・絵巻の古代槍鉋を復元しました。

 

命名しますと

◇春日権現験記絵

都ではこの形の槍鉋

上から

◆「春日 両刃型」  荒削り用

◆「春日 木の葉型」 板の仕上げ用

◆「春日 片刃型」  木の小口用

 

◇松崎天神縁起絵巻

防府では

◆「松崎 こて型」  荒削り用

と致しました。

 

なぜ 復元か。

現在、古代の建物は、古代の道具で加工

すべき、ということで「槍鉋」を使用

して工事が行われるようになりました。

 

薬師寺金堂・西塔・回廊からはじまり、

その他の社寺建築 や 姫路城他

各地の城郭復元工事などにも使われる

ようになりました。

現在、古代道具として認知され、

普及しているわけです。

 

また、古式工始祭(たくみはじめさい)

の儀式でも使われています。

http://maq-archi.com/blog/2019/03/

 

 

槍鉋 設計図

 

十年来の疑問。

絵図と現在の槍鉋の違いに気づいて、

絵図の検討・その他の資料・構想・図面

アドバイスをまとめました。

古代といえども 刃先が工夫され

使う箇所で種類があったように思います。

刃先の形状は白鷹氏復元と同じ

軸(刃の根本)が薄いため、長くすると

ペラペラになります。

厚みのある刃と軸としました。

 

平らに削った大きな板で、まるで台鉋で

削ったような精度のものがあるそうです。

これが「木の葉型」で削ったのでしょうか。

「木の節」周辺で逆目が起きないよう

回せます。

 

先端の「しゃくり」、はねあがった部分が

絵図では反対にも見えますが、道具として

疑問なので、この形だと判断しました。

材の小口加工用にも使われたのでしょうか。

 

こての曲がり部分は、持ち手と判断

しました。

実際 曲がりの部分を持っている状態を

絵巻に書くと道具がわかりにくいため、

あえて曲がりを見せて書いてあるように

思います。

木の柄が3本より長いのですが、もっと長い

もう1本も見受けられます。

 

 

白鷹 幸伯氏 復元

′    井戸 誠嗣氏  予備品所有

 

白鷹氏が、特殊注文の槍鉋を受け、

製作されたそうです。

これが 絵巻の刃先復元だと思います。

しかし木の柄は長く、現代普及型です。

 

 

 

現在の槍鉋

現在、一般に普及している槍鉋は、

木の柄が長く、古代絵巻のようには

なっていません。

「絵師が、いい加減で書き間違った。」

といわれています。

それが現在の定説です。

この形状で、色々な鍛冶職人さんが 

それぞれの特徴を持たせ製作されています。

しかしながら、

私的見聞では、現在 普及している

槍鉋が、絵図に登場してくるのは、

近世(江戸時代)1830年 

葛飾北斎の 富嶽三十六景 浮世絵の

尾州不二見原(名古屋市中区富士見町)に

描かれている槍鉋があります。

 

′      出典=Wikipedia修正

樽の板を削る槍鉋。

木の柄が長くて持ちやすく、刃が抜け、

はずせそうで 研ぎやすそうです。

これは、近世(江戸時代)槍鉋。

 

古代(飛鳥・白鳳・奈良・平安時代)

の絵図は、刃がはずせそうではなく、

槍鉋全体を持って研がなければ

ならず研ぎにくそうな形です。